アルゼンチン代表 “1990年イタリアW杯優勝メンバー”

アルゼンチンサッカー

Hola!!

こんにちは!!

ブンデスリーガーが再開(2020/5/16)するそうですね!!

今回は、1990年イタリアワールドカップで活躍した選手の現在(2020年5月時点)の紹介です。

86年組の主力組に、新たにカニーヒア、バルボ、センシー二、バスアルド、デソッティ、ファブリ、セリスエラ、モンソン、シモン、ゴイコチェアなどが加わってます。

結果こそ、準優勝でしたが「過去最低の決勝戦」のイメージが強いのか、アルゼンチン代表への評価が低い大会でした。

ゴールキーパー

セルヒオ・ゴイコチェア

正GKのプンピードが、2戦目のソビエト戦で脛を骨折してしまい急遽出番が回ってきた時のあきらかに緊張した表情が忘れられません。

その後は、試合を重ねるごとに安定感をみせ準々決勝と準決勝のPK戦での活躍はアルゼンチンにおいては後世に語り継がれる出来事でしょう。

「ゴイコチェアがいたからこその準優勝」といった活躍でした!!

引退後は、スポーツ番組の司会などスポーツジャーナリストとして活躍してます。日本でいうところの前園さんをもう少し硬派にしたような感じでしょうか。

ディフェンダー

ファン・シモン

79年ワールドユースメンバー。十字靭帯の怪我などもあり代表にはなかなか招集されませんでしたが、90年W杯ではデフェンスの中心として活躍。

序盤の不安定なディフェンス陣の中、奮闘していたのが印象的でした。1994年にボカ・ジュニオルスで引退。

その後は、2014〜2016年にボカ・ジュニオルスのマネジャーを務めています。

 

ロベルト・センシー二

開幕戦のカメルーンで、決勝点となる選手とのヘディングに競り負け、それ以降試合に出場することなく・・・

やっと出番がまわってきた決勝戦で、決勝点となるPKを与えてしまうという・・・

センシー二にとっては、悪い思い出ばかりのW杯だったのではないかなと思ってしまいます。

見た目が派手じゃないので、ひ弱な印象なんですが、セリエAで長く活躍し、パルマ、ラッツオではタイトル獲得に貢献してます。

引退後は監督としてアルゼンチンの複数のクラブを率いていますが、今のところはこれといった実績を残していません。

頭のいいプレーをする選手だったので、監督としても期待してい担ですが・・・

ミッドフィルダー

ペドロ・トログリオ

負けると予選突破がキビしくなる、2戦目のソビエト戦でのゴールが印象的。

1994年〜当時JFLの中央防犯(後のブルックス福岡、アビスパ福岡)に加入し活躍。

現役引退後は、指導者として国内外クラブの監督を歴任。ヒムナシア・ラ・プラタでは好結果を残しています。(ヒムナシア・ラ・プラタの現監督はマラドーナ

現在は、ホンジュラスの「Club Deportivo Olimpia」を率いてます。

 

ホセ・バスアルド

中盤の職人といったプレイヤーでしたね。

地味な選手だったので知らない方も多いかと思いますが、クラブチームでの実績がすごいんです!!

・1993年、1995年 ベレス・サルスフィエルド リーグ優勝

・1998年、1999年、2000年 ボカ・ジュニオルス リーグ優勝

・1994年 ベレス・サルスフィエルド  コパ・リベルタドーレス優勝

・1994年 ベレス・サルスフィエルド  インターコンチネンタル優勝(現クラブW杯)

・2000年 ボカ・ジュニオルス     コパ・リベルタドーレス優勝

・2000年 ボカ・ジュニオルス     インターコンチネンタル優勝(現クラブW杯)

現役引退後は指導者として、国内外クラブの監督を歴任。2011年にはインドネシアの「Real Mataram FC」を率いてます。2017年ウルグアイの「Club Atletico Cerro」を率いたのを最後に、現在はフリー。

フォワード

アベル・バルボ

セリエB得点王という実績を残し、期待の若手としてW杯開幕戦のスタメンをかざりましたが、結果を残せず2戦目以降出場することはありませんでした。

バルボは代表での活躍というよりもクラブチームで活躍したイメージが強いですね。

当時フィオレンティーナに在籍していた、バティストゥータをローマに勧誘したのはバルボだったそうです。

2002年にボカ・ジュニオルスで引退。

引退後は、解説者、指導者の道に進みセリエBのクラブなどの監督を歴任してます。

 

クラウディオ・カニーヒア

日本でファンの方も多いと思います。私も大好きな選手です!!

これといった実績は残してませんが、代表戦ではここぞというところで点をとってくれる頼もしい存在でした。

残念な点は

90年W杯、累積警告で決勝戦に出れなかったのと、94W杯予選のブルガリア戦で、ケガをしチームを離れたのが残念でなりません・・・

94年は、マラドーナのドーピング問題で失速したイメージですが、実はカニーヒアが離脱したのが大きかったと個人的には考えてます。

スコットランドリーグでも活躍し、2002年のビエルサ率いるアルゼンチン代表のW杯メンバーに選出されたのはサプライズでした。

2003年にカタールSCでプレーした後、2005年に現役引退。2012年にイングランドの9部リーグで現役復帰し、同年に再び現役引退。

現在は、サッカーに関わることはほとんどなく、メディアの前に出ることもほぼない状態です。

最後に

1990イタリアワールドカップのメンバーは、ベテランと若手がミックスした良いチームと思っていたのですが、マラドーナがベストコンディションでなかったのもあり試合内容は、褒められるものではなかったです。

ただ、よく決勝戦までいってくれたと感謝の気持ちでいっぱいの大会でした。

おそらく、アルゼンチンファン以外はイタリア対西ドイツがみたかったんじゃないかなと思っています。

EURO2004年ポルトガル大会の決勝(ポルトガルVSギリシャ)でもポルトガルが優勝できなかったように、周りが期待するような結果にならないのもサッカーなんですよね。

 

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